釧路新聞
雪中行
……小樽より釧路まで……
石川啄木
(第一信) 岩見沢にて
一月十九日。雪。
(略)
雪は何時しか晴れて居る。空一面に渋い顔を披いた灰色の雪が大地を圧して、右も左も、見ゆる限りは雪又雪。所々に枯木や茅舎を点綴した冬の大原野は、漫(そぞ)ろにまだ見ぬ露西亜の曠野を偲ばしめる。鉄の如き人生の苦痛と、熱火の如き革命の思想とを育て上げた、荒涼とも壮大とも云ひ様なき北欧の大自然は、幻の如く自分の目に浮んだ。不図したら、猟銃を肩にしたツルゲネーフが、人の好ささうな、髯の長い、巨人の如く背の高い露西亜の百姓と共に、此処いらを彷徨(うろつ)いて居はせぬかといふ様な心地がする。
(略)
程なく岩見沢に下車して、車夫を呼ぶと橇牽(そりひき)が来た。今朝家を出た時の如く、不景気な橇に賃して四時頃此姉が家に着いた。途中目についたのは、雪の深いことと地に達する氷柱(つらら)のあつた事、凍れるビールを暖炉(ストーブ)に解かし、鶏を割いての楽しき晩餐は、全く自分の心を温かにした。剰(あまつ)さへ湯加減程よき一風呂に我が身体も亦車上の労れを忘れた。自分は今、眠りたいと云ふ外に何の希望も持つて居ない。眠りたい、眠りたい……実際モウ眠くなつたから、此第一信の筆を擱く事にする。(午後九時半)
[「釧路新聞」明治四十一年一月二十四日]
(「石川啄木全集 第八巻」筑摩書房 1986年)