●経歴から見る
26歳でこれだけの思想に到達した人はいない。26歳までに思想家になるには啄木のように生きればよい。
しかし、文章だけで生活できたのは当時、尾崎紅葉ぐらい。啄木は経歴も勉強の仕方も間違っていないが、社会を知らなかった。
この人の意識の力は並外れたものではなかったか。一緒にいると反応が速く面白い人だった。おっとりした金田一や土岐には特に面白かった。意識が鋭くて周りの人が生き生きとしてくる人だった。さわやかで気品のある人だった。意識が鮮明なときがずっと続いているのが啄木ではないか。表情豊かで人に好まれる人だった。
●借金問題
啄木を文学者と考えちゃいけない。口八丁手八丁の事業家だったと考える。今の金額にして1,300万円くらいの借金は、どうってことない。もし、あと5年くらい生きていれば簡単に返していただろう。たまたま亡くなったから返せなかった。
生涯,私は啄木と話し合うだろう。やってもやっても金になって返ってこない26歳の啄木に、今、忠告したいこと。「あんたは、今一番いいところにきている」と言ってやりたい。「あと少しだ」と言ってやりたい。
啄木は五行歌を予言している。五行歌のすぐそばまできている。「歌は、二行でも三行でも四、五行でもいい。三十一文字でも五十一文字でもいい」と言っている。一つ足りない考えは「五行歌は字余りではなく字足らずである」そこだけが啄木が気づかなかったこと。あと3年、生きていたら必ず五行歌の創始者になっていた。
●歌の力
小説も評論もダメで、もう自分は全部ダメだと思ったとき、感情が入って歌になった。その歌が、みんなが「ああ、いいな!」と思うものになった。
「ふるさとの訛なつかし 停車場の人ごみの中に そを聴きにゆく」
国民の気持ちに染み通るもの。人口の大半が田舎から出てきた、その気持ちにしみ込む歌を作った。
若山牧水の啄木批評は優れている。晩年、彼は「あなたが負けるような歌人いましたか?」のインタビューに「ほかの歌人はともかく、啄木にはねぇ…」と応えた。あの「白鳥は哀しからずや…」を詠ったあの人が、そう言っている。
啄木は、時代を捉え、人間を捉えた「意識人」であった。