啄木行事レポート
「石川啄木を語る会」
国民的な詩人 石川啄木の魅力について 短歌を中心に様々な角度から迫る
○ 挨拶 近藤典彦 国際啄木学会会長
1 石川啄木の足跡と、啄木と交流のあった当県の人々 横山 強
2 病に見る石川啄木の最晩年 柳沢 有一郎
3 歌集『一握の砂』における音感 目良 卓
4 歌集『一握の砂』の虚構 大室 精一
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* 見つけた! キバあり
JR大宮駅前
「大宮」の名の元となった氷川神社は東口にある
○挨拶 近藤典彦 国際啄木学会会長
○石川啄木はどんな人だったのだろうか
多面体の人
・文学者----歌人であり、詩人であり、評論家であり、文学の天才である。啄木の日記は文学として読まれている。ドナルド・キーンは、啄木の『ローマ字日記』を日本の近代文学の最高傑作と言っている。
・思想家----思想家としても優れ、教育者としても教育思想家としても優れていた。
・書家----榊莫山は『書の心』という本で16人の書家をあげたが、そのひとりが啄木だった。
・予言者----茨木のり子は「すぐれた詩人には予言の能力がある」として、その第一番に啄木をあげている。
・もし、夏目漱石が啄木と同じ26歳で死んだら作品はほとんど何も残っていないだろう。森鴎外も同じである。それなのに啄木は全集が9回も出ている。
・井上ひさしは「啄木は日本史(文学史ではなく日本歴史)の上で、五指に入る日本語の使い手である」といっている。
さいたま市立大宮図書館
大宮駅から徒歩10分ほどのところ
1 石川啄木の足跡と、啄木と交流のあった当県の人々
○石川啄木の特徴
・身長--158cm位 兵隊検査--丙種合格 お酒--ビールを飲む
・ユーモアあり、美男子、ほら吹き、借金‥‥
○啄 か、か。
「啄」の字に「、」を入れたのは亡くなる2.3年前。それまでは「啄」を使っていた。
○啄木と交流のあった当県の人々
・平野万里 埼玉県北足達郡遊馬出身 明治18年生まれ
母が、森鴎外の長男の乳母となった関係で万里は森宅に出入りし「東京新詩社」の同人になり啄木と付き合う。
・池本奇燦*(実際は、「火へん」ではなく「王へん」)埼玉県比企郡玉川村「龍法寺」住職 明治9年生まれ
『明星』の同人として啄木と付き合う。
・谷静湖 埼玉県児玉郡長幡村出身 明治25年生まれ
「東京朝日新聞」が石川啄木を選者として、<朝日歌壇>を開始し、静湖が投稿した。期間中に7回、16首が掲載される。
・平井武 埼玉県栗橋町出身 明治20年生まれ
<朝日歌壇>の投稿者の一人。
図書館 視聴覚ホールが会場
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2 病に見る石川啄木の最晩年
○啄木は1910年(明治43)頃、東京朝日新聞校正係として八面六臂の働きをしていた。体力の衰えたときに彼の体に眠っていた結核菌が働き始めたのではないか。啄木は病弱の人という印象があるが、本来丈夫な体を持っていたと思われる。
・1911年(明治44)1月--結核性腹膜炎の発症 2月--右方結核性胸膜炎の発症 6月--左方結核性胸膜炎の発症 7月--大発熱10日間 10月--発熱頻度高くなる
・1912年(明治45)1月2月のうちで38度台を下がったのはほんの数日。1月30日--神楽坂の相馬屋まで出かける。最後の自由な外出。 2月20日--最後の日記を書く。
(この頃に作られた歌と推測する)
呼吸すれば、
胸の中にて鳴る音あり。
凩よりもさびしきその音!
眼閉づれど、
心にうかぶ何もなし。
さびしくも、また、眼をあけるかな。
・同年4月13日 死去
氷川神社「二の鳥居」の柱
- 現存する木造の鳥居では日本で一、二を争う大きさ
バックの建物が大宮図書館
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3 歌集『一握の砂』における音感
---「我を愛する歌」からいくつかの短歌をとりあげて---
○東海の小島の磯の白砂に
われ泣きぬれて
蟹とたはむる
tookainokojimanoisonoshirasunani 「e」--0
warenakinurete 「e」--3
kanitotawamuru 「e」--0
a --9 i --7 u --4 e --3 o --8
○いのちなき砂のかなしさよ
さらさらと
握れば指のあひだより落つ
inochinakisunanokanasisayo
sarasarato
nigirebayubinoaidayoriotsu
a --12 i --9 u --3 e --1 o --7
○短歌に出現する母音は「a列音」が一番多く「e列音」が一番少ない。これは万葉集も近代短歌も同じである。
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a--「明るく」「柔らかい」「太く円い」音と特徴づけられる。
i--聴覚的には「高い」「澄んだ」音、「極めて明るい」感じ。
u--「低い」音で「濁って」いて「薄暗く」「鈍い」感じ。
e--短歌では「e」が不協和音の働きをしているようだ。
o--「暗く」「のろく」「低く」「太く」「大きい」感じ。
(西原忠毅「日本語母音音感の統計的研究」)
1931年(昭和6)6月
浦和で 第一回 埼玉啄木会が開かれた
○春の雪
銀座の裏の三階の煉瓦造に
やはらかに降る
『一握の砂』
春の雪滝山町の三階の煉瓦造によこさまに降る
初出「東京朝日新聞」1910年(明治43)5月16日号
○真白なる大根の根の肥ゆる頃
うまれて
やがて死にし児のあり
『一握の砂』
真白なる大根の根のこゝろよく肥ゆる頃なり男生れぬ
宮崎郁雨宛書簡 1910年(明治43)10月4日附
・このように 初出と大きく変わっている。虚構も多い。
・「一握の砂」は“砂山十首”で始まり“真一挽歌”で終わる。非常に印象的である。しかし、真一が死んだのは偶然の出来事である。宮崎郁雨宛書簡にある誕生の歌が、「一握の砂」の最終段階で挽歌に変わる。この歌がいつ変わったか興味がある。
・「一握の砂」は、事実の歌、真実の歌と思う人が多い。しかし、虚構であると知るともっと啄木の歌が面白くなってくる。
ミラーボールのような多面の啄木が語られる
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*見つけた! キバあり
栃木県黒羽町にある雲巌寺
芭蕉の師である仏頂和尚が修行を積んだ寺。
右が仏頂の歌、左が芭蕉の句。
1689年(元禄2年)芭蕉と曾良が仏頂和尚の山居を訪ねた。
木啄も庵はやぶらず夏木立
芭蕉は、この一句を柱に掛けて山を下りた。
上の説明板の拡大。
「啄」にキバがある。
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*すてきなアドバイスをいただきました。
「どんなに疲れているときでもこれを読めば“リラックスし回復する”という本を持つとよい」
*氷川神社の鳥居の足の太さに驚きました。歴史の古い大宮で開催してくださり、ありがとうございました。
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