・蜜柑
そことなく 蜜柑の皮の焼くるごときにほひ残りて 夕となりぬ 初出「スバル」明治42年2月号 どこということもなく、蜜柑の皮が焼けるようなにおいが残っていて、いつの間にか夕方となった。 「南枝集」と題する11首の冒頭歌。作歌は明治42年1月14日駒込正行寺において開催された故玉野花子一周忌歌会。なお、この歌は「国民新聞」明治42年2月17日号にも再掲されているが、それには「そことなく蜜柑の皮の焼くるごときにほひ残りき君去りしのち」となっている。感覚的に鋭さの出ている一首で、「君去りしのち」という再掲歌の語句から女の去ったあとのやるせなさを歌っていることがわかる。 (「石川啄木必携」學燈社 岩城之徳・編) 蜜柑 現在、「ミカン」で通用するのは温州ミカン。日本では最も代表的なカンキツである。蜜柑の産地として名高かった中国浙江省の「温州」に因んでウンシュウミカンと命名されたが、原生地は鹿児島県長島(現鹿児島県出水郡東町)と推定されている。花期は5〜6月、収穫期は10〜12月。果実の肥大中、乾き気味に管理すると、甘く美味しくなるが、乾かしすぎると落果する。収穫の近い果実は、できれば雨に当てない。 普及は意外に新しい。東京の神田市場に初めて入荷したのは1881年(明治14年)という。江戸時代は種子のある小ミカンが中心だった。 蜜柑の果肉に含まれるベータ・クリプトキサンチンは、発ガン抑制効果があるといわれる。またビタミンC含量も多く、風邪の予防に役立つと言われる。オレンジ色の色素であるカロチノイドは脂肪につくことが知られている。そのためか、たくさんミカンを食べると手が黄色くなる。 漢方では皮の干したものは「陳皮」と呼ばれ、咳をとる、たんをきる、などの効用があり、風呂に入れると、冷え性、肩こりを改善するとも言われる。 愛媛県 県花 花ことば 純潔 清純 (蜜柑の木)寛大 (蜜柑の花)清浄 啄木は、するどい感覚の持ち主だったらしく、さまざまなにおいを詠みこんだ歌を残している。「ある朝のかなしき夢のさめぎはに/鼻に入り来し/味噌を煮る香よ」「そことなく/蜜柑の皮の焼くるごときにほひ残りて/夕となりぬ」「水のごと/身体をひたすかなしみに/葱の香などのまじれる夕」といった歌が印象深い。 においの感覚は<いま・ここ>という時空間にゆらぎを与えて、もうひとつべつの時空間をよびおこす力を持っている。啄木の歌では、においは、現在と記憶をつなぐ蝶番のようなはたらきをになっているようだ。(中略) 啄木の歌も、記憶の瞬間のスナップショットを表現している。においは、記憶をひらく鍵なのかもしれない。 (新文芸読本 「石川啄木」河出書房)
甘酸っぱく饐えたような「蜜柑の皮の焼」けたような匂いが残って夕方になった。日暮れは不思議な表情を伴って、何処からともなく訪れてくるのである。「蜜柑の皮」の焼くる匂いに「若い女性のほのかな性感」(今井)を嗅きとる鋭い指摘もあるが、特定の匂いを想定することもない。日の衰えがこうした匂いを連想させるのであって、あるいは疲れの見える日の表情が「蜜柑の皮」ともイメージされる。盛んな一日がその日の終りに近づいて、「にほひ」だけをそこここに漂わせながら、夕べへ移ってゆくのである。神経のふるえが見た夕べの光景である。 (上田博「石川啄木歌集全歌鑑賞」)
詩集『あこがれ』には、「匂ひ」という言葉が数多く使われているが、それは単純に嗅覚を刺激した、現実の匂いとは限らなかった。実際に匂っているというよりも、心の中や視覚的に感じたものを、比喩的、抽象的に使い、具体的で現実的な匂いでない場合が多かった。そしてこれらはすべて良い匂いであった。とりわけ浪漫的な渦中にいた啄木にとって、世界はすべて美しく匂うものであり、それが「匂ひ」という言葉のイメージになっていたのであった。 ところが『一握の砂』では、『あこがれ』の時とは異なって具体的で現実的な匂いとなった。 故郷と関係した匂いとしては、とりわけ焼いた食べ物のイメージが連想されたようである。札幌を詠んだ中に「玉蜀黍の焼くるにほひ」があり、又、『一握の砂』以外では「蜜柑の皮の焼くるがごときにほひ」という表現があり、匂いの中では焼いて香ばしいものが一番好ましかったようである。 (『石川啄木事典』項目篇(イメージ)「匂い」)
|