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啄木文学散歩

東京都:浅草-3 寿四丁目の文学散歩


 

「田原町シティビル」

 浅草通りと国際通りがぶつかる寿四丁目交差点。角に立つ田原町シティビルには「浅草文学散歩」の掲示がある。

 まわりのビルを美しく映した1階部分(写真の左下オレンジラインのところ)に啄木もいる。

 

 ○ 朝日信用金庫ことぶき支店

 

    

    「1Fのガラスにある掲示」

   信号待ちをする人々に溶け込んだ
   やさしい色づかいの文学散歩案内。
   夏目漱石の左が石川啄木。

 

「マップ」

 

「浅草文学散歩」
浅草はかつての文化の中心地であり、その華やかさと賑わいで、多くの著名人を魅了しました。旧き良き風情を残すこの街で、文人が記した浅草を散策してみてはいかがでしょう。(掲示文より)

 

 このマップには、浅草寺・新世界跡地・浅草六区跡地・浅草国際劇場跡地などとともに凌雲閣(浅草12階)が紹介されている。

 

       

    「石川啄木・夏目漱石・江戸川乱歩・半村良・マップ」    

  

「三島由紀夫・池波正太郎(・石川啄木・夏目漱石)」

      

    

    「川端康成・サトウハチロー・高見順・山本有三」

      浅草にゆかりのある合計10人の文人を紹介

 

「石川啄木」

 

浅草の凌雲閣のいただきに

腕組みし日の

長き日記かな

        「一握の砂」より

凌雲閣

明治23年に建てられた、高さ60メートルの赤レンガ塔。通称・十二階。当時、日本一の高さを誇るこの建物は、文明開化の象徴として話題を呼びました。大正十二年の関東大震災で崩壊するまで、世界中の品物が売られたり、東京中を見渡せる望遠鏡が備えられたり、多くの見物客で賑わったといいます。(掲示文より)

  

○『一握の砂』を朝日文庫版で読む 近藤典彦blogより)

  浅草の凌雲閣のいただきに
  腕組みし日の
  長き日記かな

・浅草→凌雲閣→長い日記、とあれば即ローマ字日記と来そうなものですが、肝心のローマ字日記に凌雲閣に登ったという記述はありません。それ以前の日記(08年の上京後の分)も読み返しましたがありません。

・……何を思いつめていたのか見当がつきます。「小説が書けない」から始まって、「金がない」→「下宿代が払えない」→「下宿を追い出されたらどうしよう」。あるいは→「自分一身の面倒も見きれない」→「そこへ家族が上京して来る。どうしよう」など。このときのかれは悩みのデパートみたいなものですから「思いつめる」材料に事欠かない、ありさまでした。

・1909年(明42)4月〜5月の啄木はいくら「腕組みて」考えても、なんの解決策も出てこないのでした。考えあぐねて、「腕組み」の効果もむなしく、下宿へ帰って「長き日記」をきれいなローマ字でひたすらつづることになります。


<解釈>浅草の凌雲閣の展望台で、自分の今とこれからをどうしたらいいのか腕を組んで思いつめたのだった。けれどなんの結論も出なかった。あの日下宿に帰ってから書いたローマ字の長い日記よ。

*「浅草の凌雲閣のいただきに その1」(『一握の砂』を朝日文庫版で読む 近藤典彦)
http://asahidake-n.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/post-8098.html

 

 ○ 少し歩いて等光寺へ

   

交差点にある「寺町散歩の地図」

 地図上の大きな交差点が現在地。交差点上部の角にあるのが朝日信用金庫。そこから真下に辿ると「等光寺(石川啄木歌碑)」の表示がある。金庫から寺は約200mの距離。一本横道に入るだけで浅草の喧噪から離れて静かな通りになる。

 

        

           等光寺 歌とレリーフ」

 啄木の母カツ・啄木本人・長女京子・二女房江の
葬儀が行われた「等光寺」まではすぐ。
 境内に啄木歌碑があり肖像も彫られている。      

  浅草の夜のにぎはひに
  まぎれ入り
  まぎれ出で来しさびしき心
                 啄木

 

*等光寺について興味がありましたら「啄木文学散歩東京都:浅草-2 了源寺と等光寺」へ。
 asakusa2.html

 


*朝日信用金庫ことぶき支店

 東京都台東区寿2-10-13
  国際通りと浅草通りとの交差点
  東京メトロ銀座線「田原町」徒歩1分


 ○ 「塔」と「タワー」

「凌雲閣 1890年開業」

高さ60メートルの赤レンガ塔

  

「建設中の東京スカイツリー 2010年3月」

約310mの高さ 浅草 駒形橋より

 

(2010-春)    

    

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