・梅
梅 ひと晩に咲かせてみむと、 梅の鉢を火に焙りしが、 咲かざりしかな。 初出「創作」明治44年2月号 一晩のうちに梅の花をなんとか咲かせてみようと思って、梅の鉢を火にあぶったが、咲かなかったことだ。 (「石川啄木必携」 岩城之徳・編) 梅 バラ科サクラ属の一種。中国中部原産の落葉高木で10m程度。九州北部などが原産との説もある。一般に野梅系、紅梅系、豊後系の三つに分類される。 開花は早春、通常白の5弁であるが、園芸品種は300を越える。6月くらいに実が黄色くなる。 鑑賞用の品種を「花梅」、果実を食用とするための品種を「実梅」という。 梅のもつ多くの有機酸が抗菌作用、整腸作用を促すことから、梅干し・梅酢・梅酒・梅肉エキス等、食用や薬に広い範囲で利用されている。砂糖漬け、のし梅、梅餅などの菓子類もある。 和名は薬用にする「烏梅」、または梅の漢音mei から転訛したものといわれる。古くは「むめ」と呼ばれた。 和歌山県・福岡県 県花 花ことば 高潔 澄んだ心 忠実、忍耐 上品 独立 (白梅)気品
(紅梅)優美 一読、何のへんてつもない一首。花を咲かせようと、一所懸命に梅の鉢を火にあぶったが駄目だった、と言うだけのことである。しかし、こういうたわいもない行為をその儘歌にしているところに、一種の空しさに似た感味が漂うし、同時にこれしきのことに興味を働かせている作者の心情にある種のはかなさが感じられるであろう。川並秀雄の『啄木の作品と女性』(昭和29.10)に寄せた丸谷喜市の序によると、四十三年末に訪ねたとき、啄木は床の間の鉢を指して一首と同じ内容の事実を語ったという。「僕の今の歌は殆ど全く日記を書く心持で作るのだ」(瀬川深宛、明治44.1.9)と記す啄木の作歌観からすれば、これは当然のことかも知れない。また、四十三年の暮と言えば、長男真一が死亡(10.27)したあとであり、刊行した『一握の砂』の稿料も薬代や葬儀費用にあてられる始末だった。一首から、また歌を通しての作者の姿に、どこか落莫とした感じが漂うのも、そうした生活背景とも無関係ではないだろう。 しかし、この歌をそれだけのものととらず、評論「性急な思想」(明治43.2)あたりと結びつけ、結局「明日を待つ人」とならざるを得なかった啄木、「思想的な混迷の中からそれを冷静に客観しようと意欲する、悲しい省察が詠み込まれて居る様に」とる説がある(宮崎郁雨『函館の砂-啄木と私と-』昭和35.11)。(中略) 今井素子氏は前記『石川啄木集』で宮崎の意見に賛意を表し、梅の花を咲かせようとする行為に「時代を先んじて走ろうとする者のあせり」を、時が来なければ咲かぬ梅に「日本の悲しい現状を暗示」しているとするが、寓意を先立てる解には問題があるように思う。「福寿草の蒼いとほしむ幼な子や夜は囲炉裏の火にあててをり」---これは島木赤彦の作である。 (本林勝夫「『悲しき玩具』鑑賞」) 『一握の砂』に「目の前の菓子皿」を見て、突然カリカリと噛み砕いてしまいたい衝動を歌にしたが、実際には衝動の段階で踏みとどまっている。(そんなことなどできるわけなどないのだから「衝動」自体がイメージ化された。)しかし、「梅の鉢」を火に焙って、咲かせようとしたことは充分に想像される。実際そのようなことをしなかったにせよ、火鉢の上に尻から火にかざされている「梅の鉢」は目に浮かんでくる。火に焙れば、ひょっとすると花が咲くかもしれないと想像する心の動きも手に取るように見えるし、火に焙る手つきなども見えてくる。「たあひもない行為」(本林勝夫)を楽しんでいる気分がある。こうした気分は本当である。 (上田博「石川啄木歌集全歌鑑賞」) 日常生活の形式等は、出来る丈単純にしているので、今私の心に在るものは、改良したいというより、寧ろ進展したい心持でございます。けれども故石川啄木の歌に ひと晩に咲かせてみむと梅の鉢を とある心持を深く、切実に感ぜられます。 (宮本百合子「今年改良したき事」〔一九二一年一月〕『宮本百合子全集 第十七巻』) この歌から、急くあなたの心が伝わってきます。 「君、僕はどうしても僕の思想が時代より一歩進んでいるという自惚を捨てることができない」と言ったあなたの言葉を、繰り返し聞きながら新年を迎えた私でした。 (山本玲子「拝啓啄木さま」) |