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- ◎ 講演「石川啄木と飲み仲間達」藤原隆男
◎ 研究発表(3分科会方式)
- ◯ A会場 司会・河野有時
(1)柳沢有一郎 「『何がなしに/肺が小さくなれる』考」
(2)望月善次 「結合比喩(中村明)から見た啄木・賢治短歌」
(3)長江隆一 「石川家の謎と啄木短歌の真実性」
(4)今野 哲 「尾山篤二郎における啄木〜啄木没年前後〜」
- ◯ B会場 司会・安元隆子
- (1)西川敏之 「独歩と啄木 時代の中での夢と希望」
(2)森 義真 「野村胡堂宛書簡に見る啄木像
-猪川浩の明治35・36年書簡を中心に-」
(3)西脇 巽 「小姑と嫁 光子と節子の場合-友好から怨恨への転変-」
(4)米地文夫 「啄木と賢治の『北方の風土観』
-岩手・北海道・ロシアをどう見たか」
◯ C会場
シンポジウム「我等の一団と彼」をどう読むか
・コーディネーター 若林 敦
・近藤典彦
・鈴木 敦
・飯村裕樹
《駅表示 啄木の文字「もりおか」と
「どんど晴れ」の垂れ幕が並ぶ》
《「熱気の溢れた東京大会に続き
インドネシア大会にもご参加を…」
と近藤典彦氏のあいさつ》
《温かいお出迎えの受付》
◎ 講演「石川啄木と飲み仲間達」
藤原隆男
東京における4年間の啄木の文学生活を、飲み仲間との飲酒の交遊からみる
- 第一のレベル 啄木が上京した明治41年5月から42年4月頃まで。
- 新詩社の仲間たち、平野万里、吉井勇、北原白秋、木下杢太郎らとの交遊を深めるため飲酒を伴う耽溺な生活を通して続けられた。
- 明治42年1月17日(啄木の日記)
「吉井のために質屋にゆく。古い置時計と袷で二円借りてやつた。」
啄木は世話になるばかりでなく、吉井のために金を借りている。
- 第二のレベル これ以降が飲み仲間との飲酒も断ち、彼らと決別する時期。
- 明治42年4月12日(啄木の日記)
「思うに、予はすでに古き ー 然り!古き仲間から離れ、自分一人の家をつくるべき時期となった。」
啄木は、何よりも自立することを欲していた。
- 明治42年4月12日(啄木の日記)
「予は予の欲するままに! That is all ! All of all !
- 人に愛せられるな。
- 人の恵みを受けるな。
- 人と約束するな。
- 人の許しを乞わねばならぬ事をするな。
- 決して人に自己を語るな。
- 常に仮面をかぶっておれ。
- いつでも戦さのできるように ー いつ何時でもその人の頭を叩き得るようにしておけ。
- 一人の人と友人になる時は、その人といつか必ず絶交することあるを忘れるな。」
- むすび
- 啄木は飲み仲間から精神的に自立したかった。「自分一人の家をつくる」ために飲み仲間から離れる啄木の決意のほどは飲み仲間の誰も知らなかったと思う。
- 飲み仲間たちは、啄木を温かくみつめ、啄木を非難して交友関係を彼らが自ら絶ったわけではなかった。
《盛岡駅ビルに並ぶ酒・酒・酒》
◎ 研究発表
◯ A会場
(1)柳沢有一郎
「『何がなしに/肺が小さくなれる』考」
何がなしに
肺が小さくなれる如く思ひて起きぬーー
秋近き朝。
- 先行研究では「肺が小さくなれる」は肺結核の末期症状を示すものと解釈されている。
- もし、肺が小さくなっているなら当時の啄木の日記にその記述がなくてはならないと考えた。彼は体に異状があったら大騒ぎして書き残す人だと思う。
八月二十一日(啄木日記 明治44年)
歌十七首を作って夜「詩歌」の前田夕暮に送る。
朝に秋が来たかと思う程涼しかりき。
何がなしに
肺の小さくなれる如く思ひて起きぬ
秋近き朝
妻の容態も漸くよし
- 啄木の日記や書簡からみると、8/8「…日増に少しづゝ よいやうである…」。8/15「…食欲も初めて出て…」。8/20「…発熱三十七度五分以上にのぼらず…」などとある。自分でもはっきり自覚できるような病状のよさが読みとれる。
- 気象庁東京測候所(啄木の住んでいる小石川久堅町との距離約4km)は観測記録として「(明治44年8月20日…急に気温下がる。20日の平均気温 22.8度。10mmを越えるまとまった雨。」としている。雨によって洗われた空気が新鮮で清々しい感じを啄木に与えたのではないか。
(2)望月善次
「結合比喩(中村明)から見た啄木・賢治短歌」
「結合比喩(語と語との繋がりが、通常とは異なっていることによって発生する比喩)」
- 賢治比喩歌の中核は「結合比喩」歌である。賢治は短歌から「春と修羅」(第一詩集)に向かって、「結合比喩」性を熟成していった。
- 啄木比喩歌は「指標比喩歌」が入り組んだ構造になっている場合が多い。
わが泣くを少女等きかば/【病犬の/月に吠ゆるに似たり】といふらむ
何処やらむ【かすかに虫の泣くごとき】/こころ細さを/今日もおぼゆる
- 啄木短歌は「結合比喩」性を消して行く方向に発展していった。
《左右の面がガラス張りの明るい室内》
(3)長江隆一
「石川家の謎と啄木短歌の真実性」
- 「一握の砂」の中から、歌の内容が事実と異なると、思われるもの。
しらしらと氷かがやき/千鳥なく/釧路の海の冬の月かな
- 地元の郷土史家が「冬の釧路に千鳥はいない」と強く否定。
- 日記には千鳥の記述が3回あり、郷土史家の証言通りだとすれば、この歌は虚構というより事実誤認という事になる。
わがあとを追い来て/知れる人もなき/辺土に住みし母と妻かな
- 当時函館に堀合家の親戚が二軒あり「知れる人もなき」は事実でない。
- 函館を辺土というのも不自然である。
- 啄木は虚構を混えて歌うことが、そのときの感情を表現するために、より効果的であれば・・・止むを得ないと考えたのであろう。
(4)今野 哲
「尾山篤二郎における啄木〜啄木没年前後〜」
- 尾山の啄木評
- 後年、歌壇の毒舌家として知られた尾山は、北原白秋、与謝野晶子、与謝野寛などに対して、罵倒に近い直言批評をしている。その中にあって、啄木だけは一貫して高く評価している。絶賛といってよい。
- 【九月の歌壇】
「石川啄木君の『猫を飼はば』といふ詩歌の歌を見て…。
この程君程真面目に自分のライフを基礎として静かに感傷の心を歌にして居る人はない。何時読んで見ても実にすつきりとした快い気持ちがするぢゃないか。現歌壇で俺には一番身に染みて読まされるのはこの人さ。…」
- 尾山の啄木追悼文
- 【故石川啄木君】
「…一度も逢つたことがなくて居ながら彼れだけ親しみの念を起さした人は過去に於て余りなかつたといふだけである。」
「…またこれだけまで多くの期待を僕に与えた人はすくなかった。あの人の作品は皆未成品だつた様な気がする。而して何か底にあるといふことが多くの期待を僕に与へたのだらう。…」
- 尾山の啄木への親炙は、尾山の短歌にも直接・間接の影響を与えているように見える。
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《会場のaiina アイーナ(岩手県民情報交流センター)
地下1階、地上9階の建物内に自然光を取り入れ
自然エネルギーを最大限に利用している》
◯ B会場
(1)西川敏之
「独歩と啄木 時代の中での夢と希望」
- 啄木と独歩は面識がない。類似点は二人共、詩から出発していること。
- 啄木は日露戦後の社会を文学者の立場から批判し、これは明治の文芸評論の傑作だった。啄木「時代より一歩進んでいるという自惚れ」と語っているがそれは決して自惚れではなく、まさに独歩より深く時代に向って正規な思考をしていたのではないかと考える。
- 独歩は、晩年中央公論に発表した小説「竹の木戸」で明治の超格差社会の哀しい一面を描いている。
- 長大な日記「欺かざるの記」は、一葉日記、啄木の「ローマ字日記」と共に明治三大日記ともいえる。
- 近代の台頭期に啄木も小説を描こうと志して数編の力作を放っている。二人共、もっと生きて文学作品の成功を追ってゆきながら夭折したことは、私達に詩人達の夢を未来に託されているのではないか。
《B会場 椅子が足りなくなるほどの参加》
(2)森 義真
「野村胡堂宛書簡に見る啄木像」
-猪川浩の明治35・36年書簡を中心として-
□ 猪川浩が啄木以外に宛てた手紙は、ほとんど動静のみが書かれている。
「石川はどれ位の人間かは…」や、「…石川は取るに足らぬ小者也」などと酷評しているのは啄木だけである。
【石川一(啄木)についての記述のある「猪川浩」書簡】
- 明治35年5月6日
…石川君などのある中へハ出たくなきものなり 理事は御免蒙ろうかと存じ居り候…
- 明治35年10月28日
…彼れは彼の才に追はるゝの人間也 彼れは不幸にして新聞雑誌を以つて養はれたる時世の文学者也 確き信念と問はば皆無也…
- 明治35年12月12日
…石川白蘋兄上京して葉書二枚の音信あるのみ 他に何等の音信なし これが最初必ず音信すべしあるべしと誓ひたる友なり 世間がこれで通れるから愉快でたまらず…
- 明治36年3月13日
…石川は取るに足らぬ小者也 箸にも棒にもかゝらぬ奴 以後彼れに付いては一言も及ぶ事なかるべく候…
□ 啄木と猪川の精神的確執があるのではないか。
「東京へ行ったら手紙を書く」と啄木が言ったのに、葉書二通しかこない。他の人へは詳しい手紙が来たということを聞いて、嫉妬心もあったのではないかと推測する。
(3)西脇 巽
「小姑と嫁 光子と節子の場合」
-友好から怨恨への転変-
人格形成要因は養育環境(家族関係の中のどこに生まれてくるか)によって大きく左右される。
- 啄木の場合
- 一般的に親は、初めての子を男の子・女の子に関わらず大事にする。
- 第一子が女だった場合、親は第二子に強く男の子を望む。
- 一、二子とも女の子だと、更に強く男の子を望む。
- こうして生まれてきたのが啄木である。啄木は、かけがえのない息子であり、母は一辺倒に可愛がる。啄木は過保護のもと、自己抑制できない自由気儘な性格となっていく。
- 節子の場合
- 節子は九人同胞の長子である。下の弟妹が八人もいれば母を助ける超のつくしっかり者の姉さんにならざるを得ない。
- 夫婦・啄木と節子の場合
- 甘えん坊の啄木は、節子に家出をされた時、まさに支えを無くして不安パニックとなる。
- 節子は能動的に愛する性質が強い。せっかく家出したのに、啄木があまりにヘナヘナになってしまっているのを見ていることが出来ずに家に舞い戻り、啄木の世話をしてしまう。
- 光子の節子への怨恨
- 光子は、郁雨が自分に求婚した事を認識していたと思われる。
- ところが、その話は反古にされてしまう。節子の差し金で郁雨をフキに取られてしまったと理解した光子は、節子に怨恨感情を抱く。
- こう考えると事の流れが自然でわかりやすいと思った。
(4)米地文夫
「啄木と賢治の『北方の風土観』
-岩手・北海道・ロシアをどう見たか」
- 岩手を啄木と賢治はどうみたか
- 啄木は城下町盛岡の美しさを誇りとしていた。意識的に、岩手を北の地域ではないように考えようとした。賢治は岩手が北の地域と繋がっているという意識ないしは幻想を抱いていた。
- 北海道を啄木と賢治はどうみたか
- 冷害と長い冬と貧困に耐える人々とともに郷里で生きていかねばならない賢治にとっては、北海道の欧米風の寒地農牧業や農産加工の発展は、岩手にとってよき手本と映っていた。
- 啄木にとっては、北海道は辺土であり、植民地であり、さいはて、国の果てであった。
- 二人のこの相違は、十年の年齢差、そして、啄木と賢治の作品を生み出し活躍した時期の違い、新聞記者と農業教育者の目の違いなどから生まれたものと思う。
- ロシアを啄木と賢治はどうみたか
- 啄木は、北海道で「みぞれ降る/石狩の野の汽車に読みし/ツルゲエネフの物語かな」と詠い、北海道にツルゲーネフの世界を感じていたのであろう。
- 賢治はイーハトヴというロシア語に似せた地名を付け、トルストイのロシア民話の世界に繋がるものとイメージした。
《施設のシンボル【エレクトロニック・ツリー】
緑の木の下にたくさんの人が集まる》
◎ C会場
シンポジウム「我等の一団と彼」をどう読むか
- 作品を素材にして作品の研究方法はどうあるべきかを試みた。
- 研究方法をめぐり、第一には作家論を中心に、第二には作品論を中心に、二人ずつにわかれて成果や弱点を話し合った。
○ コーディネーター若林 敦
- 作品の主題
- 理想主義的な信念と「利己」の立場との矛盾からくる葛藤を、「利己」の立場で解消しようとすること(=二重生活)への批判
- 作者啄木と作品との関係(主題に関連する限りで)
- 自己の一生が「次の時代の犠牲」であるという問題意識を共有しているのは啄木と高橋である。「私」にはそれがない。
- 「私」を硬派の社会部記者に比定することも無理ではない。啄木は「私」を人物像のレベルでも高橋に批判的に対置しうる人間として造型しようとしたのではないか。
- 遠い将来に理想社会を望みながらの現在の無為と、社会に寄与する行動を現にとっていることのどちらが価値ある姿であるかは、言うまでもなく明らかだろう。
○ 近藤典彦
- 読み解くための鍵は「現代の主潮」と「大逆事件」である。
- 「現代の主潮」とは1910年(明治43)6月16日岩崎正宛書簡に出てくる言葉。
「今度の作(=「我等の一団と彼」)では、僕は……目的を……現代の主潮に置いた」
- (大逆事件発覚以前執筆の)「硝子窓」の中で啄木が苦しんでいるのは、明治憲法体制下に資本主義が巨大な矛盾をはらんで展開して行く時、これと闘うべきだとは思うが、保身のためにその決断ができないことであった。それは当代日本の知識人の「主潮」でもある。
- 啄木は「現代の主潮」の担い手である自分自身に批判的になって行く。大逆事件についで衝撃を与えたのは幸徳秋水の代表作『平民主義』(「赤紙の表紙手擦れし国禁の書」)であった。
- 「針文字事件」が起き、啄木の幸徳秋水像が大きく修正され、啄木の思想も時代把握も急進展していて執筆継続は不可能であった。
《C会場 熱気に満ちた討議が続く》
○ 鈴木 敦
□「私」が高橋への理解を深めながら「批評の無い場所」の意味と「故郷」を発見していく過程が描かれる物語
- 「山へ行きたいの、海へ行きたいのといふのは、畢竟僕の所謂批評の無い場所へ行きたいといふ事なんだからね、(略)人がよく夏休みになると、借金してまで郷里に帰るのは、一つは矢張それだよ。」
→「批評の無い場所」という幻想
□ 語られる「私」が理由の無い高橋への好意を感情的な反感へ変化させていく物語
- 「彼は私の旧友の一人だった。然もあまり好まない旧友の一人だった。然し其の時、私は少しも昔の感情を思い出さなかった。そしてただ何がなしに懐しかつた。(略)
私は何故か嬉しいやうに見た。」
→「私」にとっての故郷の意味が変化している。
- 二つのベクトルを異にする物語が葛藤するテクスト
○ 飯村裕樹
- 「新々10のものさし」
- 1 設定 2 話者 3 クライマックス 4 イメージ語 5 アイロニー・パラドックス 6 比喩 7 ………
- 「1 設定」では、高橋の癖にも注目した。
- 人との話の最中に「寝転がったり」、「起き上がったり」する。この「ねる」と「おきる」の行動だけがきちんと書かれている。
- その後に高橋の長い話が続く。高橋の長い会話は、貴重なものであるとともに、注目すべきものである。高橋の特異性をも表す癖であると考えられる。
- 「ねる」という動作は一種のアナーキーな状態である。そのような視点から、一団を見、「おきあがり」、批評を加える。高橋が一団に対して、優位な立場であることもうかがえる。
《廊下と室内を隔てているのはガラスの壁
実は部屋の外から撮っている》
太田 登 会長
- これだけ多彩なセミナーは初めて。盛りだくさんで内容の濃い会だった。
- 全部の発表を聞くことができなくて残念。
- 啄木という存在は、永遠に対話するに値する数少ない文学者だ。啄木という存在はテキストだと思っている。テキストは一回読んで終わりではなく何度も何度も読む。いろいろなコードを使って啄木というテキストを解明しようとした試みは成功した。
《開運橋と木々の芽吹き》
《「啄木であい道」の歌碑》
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やはらかに柳あをめる
北上の岸辺目に見ゆ
泣けとごとくに
この季節の盛岡はなんとこころよかったことでしょう。
岩手の方々の郷土愛にいつも感激しています。
お世話になりました。ありがとうございます。
啄木の息・yu
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