5階の映像音響室は、当時のニュース映画や記録映像、写真やレコードなど収集した資料を自由に見ることができる。検索システムで「石川啄木」を入れたところ、1961年のニュース映像があった。
● 希望訪問 毎日ニュース(映像)
「啄木のふるさと」1961年(昭和36)4月19日
かにかくに渋民村は恋しかり
おもひでの山
おもひでの川
《ナレーション (概要)》
4月13日、天才詩人・石川啄木の50回忌大法要がふるさと岩手県渋民村の宝徳寺で行われた。代用教員になった学校、その時、啄木が使用した机や履歴書。現存する啄木の家と書斎。
ここ「平田野(へだの)」は啄木が生徒とストライキを行ったところ。
春まだ浅く月若き
生命の森の夜の香に
あくがれ出でて我が魂の
夢むともなく夢むれば
啄木が作詞した校歌はいまも小学生に受け継がれている。このストライキでふるさとを追われた啄木は節子夫人と北海道函館に渡った。そして再びふるさとに戻ることなく東京小石川で27歳の生涯を閉じた。
遠くふるさとを思いながら死の床についた啄木、貧しさと闘いながら詩を書き続けた啄木。その夜、渋民村では啄木が夜通しで踊り興じたという盆踊りの歌声がいつまでも岩手山にこだましていた。
ある年の盆の祭に
衣貸さむ踊れと言ひし
女を思ふ
《ナレーションに応じた映像》
村のようす・渋民小の子どもたち・自衛隊の演習・盆踊り・節子夫人の写真額の除幕・函館の啄木一族の墓前での法要 など。