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啄木文学散歩

北海道:札幌市

 

   札幌は寔に美しき北の都なり
   アカシヤの並木を騒がせ ポプラの葉を裏返して吹く風の冷たさ
   札幌は秋風の国なり

啄木         


● 啄木胸像と下宿跡が確定されるまで

● 大通公園の啄木像と歌碑

● 北海道立文学館

平岸林檎園記念歌碑


 

「JR札幌駅前」
啄木が札幌に来たのは1907年(明治40)9月
あと2年たてばちょうど100年

  

● 啄木胸像と下宿跡が確定されるまで

「札幌クレストビル」は、札幌駅北口(大通公園とは反対側)を出て北7条通りを西に2〜3分歩いたところにある。ビルのエントランスに入ると、通りからほんの2〜3mほどの場所にケース入りの啄木胸像と案内板がある。

 

「札幌・啄木下宿跡(田中サト方)の案内板」

『詩人・石川啄木が函館から札幌入りしたのは、明治40年(1907)9月14日のことである。札幌停車場に午後1時すぎ到着した啄木は、詩友・向井夷希微(いきび)らに迎えられ、彼らの宿でもあった「北7条西4丁目4番地・田中サト方」の住人となった。ときに満21歳。ここはその下宿があった場所である。

滞在2週間であわただしく札幌を去るが、勤め先の北門新報に「札幌は寔(まこと)に美しき北の都なり。」 の印象記を残し、またしても小樽、釧路へと放浪の旅に出た。』

(北区歴史と文化の八十八選

  

○ 下宿跡 捜索隊

 この場所が確定するまでには大変な捜索隊が活躍していた。

『「田中」という下宿屋、むろん今は存在しないし、当時あった「田中」宅の正確な場所も判然としない。「天下の啄木の下宿屋ぐらい簡単に調べがつくだろう」と、「北区エピソード史」の再開に踏み切り、そのプロローグを飾ろうとした私たち北区役所の"啄木追跡丸"は早くも暗礁に乗り上げてしまった。』

『貴重な"最後の証人"
「田中さん?下宿屋をなさっていた田中さんですか。その方なら私の家の隣でしたが・・・」
"生き証人"がついに現れた。』

『札幌の「啄木下宿」跡!それは檀上老人の記憶どおり、現在の「北七条西四丁目四番地、札幌北七条郵便局」に当たる。宿の建坪は、このほど発見した新資料によると、まさぶき屋根の木造平屋「四二・八七五坪」であった。これらは法務局家屋台帳、他の古老の話なども符合する。
「この六畳間が僕とせつ子と京子の三人の家庭になるのに候」(書簡)。』

(札幌市北区役所HP 北区エピソード史13・14・15)

      

「下宿跡の啄木胸像 」(葛西 茂雄 作)

荒いタッチの胸像は堅い意思を伝え、見る角度によっては老成した顔立ちにもなる。

 

小説「札幌」・日記「明治四十丁未歳日誌」

「半生を放浪の間に送つて來た私には、折にふれてしみじみ思出される土地(ところ)の多い中に、札幌の二週間ほど、慌しい樣な懷しい記憶を私の心に殘した土地(ところ)は無い。あの大きい田舍町めいた、道幅の廣い、物靜かな、木立の多い、洋風擬(まが)ひの家屋の離ればなれに列んだ――そして甚(どんな)大きい建物も見涯のつかぬ大空に壓しつけられてゐる樣な石狩平原の中央(ただなか)の都の光景(ありさま)は、やゝもすると私の目に浮んで來て、優しい伯母かなんぞの樣に心を牽引(ひきつ)ける。一年なり、二年なり、何時かは行つて住んで見たい樣に思ふ。
 私が初めて札幌に行つたのは明治四十年の秋風の立初(そ)めた頃である。」

(啄木の小説「札幌」より。この小説は事実に即し、登場する人物にはいずれもモデルがいる)

九月十六日

予は此日より北門新報社に出社したり。毎日印刷部数六千、六頁の新聞にして目下有望の地位にありといふ。

予の仕事は午后二時に初まり八時頃に終る・・・。」

(「明治四十丁未歳日誌」石川啄木)

  

● 大通公園の啄木像と歌碑

大通公園は1871年(明治4)に官庁街と住宅・商業街の間の防火帯として造られた。東西に1.5km 続く長い公園は、噴水・花壇・遊水路などの施設があり、彫刻や記念碑などもたくさんある。

 

「紅葉をバックにした啄木像」
坂 坦道 作

啄木像の右側に歌碑がある。

  しんとして幅広き街の
  秋の夜の
  玉蜀黍の焼くるにほひよ

             啄木
           

最初の計画では右手にとうもろこしを持った像になるはずであったが、いろいろな事情からはずずことになった。

 

「歌碑側面の秋風記」

○ 「秋風記

歌碑の側面には「秋風記」が彫られている。

「秋風記」より

札幌は寔に美しき北の都なり。初めて見たる我が喜びは何にか例へむ。アカシヤの並木を騒がせ、ポプラの葉を裏返して吹く風の冷たさ。札幌は秋風の国なり、木立の市なり。おほらかに静かにして、人の香よりは、樹の香こそ勝りたれ。大なる田舎町なり、しめやかなる恋の多くありさうなる郷なり、詩人の住むべき都会なり。

明治四十年作 」  

  

「花に囲まれ座る啄木」
目線の先はもしかして三人の乙女が踊る「泉の像」?

  

● 北海道立文学館

地下鉄南北線中島公園駅・幌平橋駅から徒歩7分、広々とした中島公園の一角にある。

北海道ゆかりの作家、石川啄木、有島武郎、小林多喜二、三浦綾子などの資料を収蔵、展示している。常設展では、代表的な作家とその作品が時代ごとに紹介され、北海道文学の流れを感じ取る事ができる。

 

「北海道立文学館の美しい紅葉」
左にある青い表示板の後ろが入口

○ 啄木のビデオ

閲覧室ビデオコーナーでは、啄木に関する3点の作品が鑑賞できる。

1「記者・石川啄木」 20分
   
「ほっとないとHOKKAIDO特集」より(STV制作)

2「石川啄木(生涯)」25分
    
その生涯をゆかりの場所や資料、朗読で綴る。(光村図書制作)

3「石川啄木旅日誌」 28分
   
「北の肖像 明日へ」より(1986年 STV制作)

  

1-は、事件記者・啄木を紹介している。小樽日報は啄木にとって、記者としての初めての仕事場だった。啄木は三文記事に力を入れた。「手宮駅員の自殺未遂」など、啄木の書いた記事はストーリー性があり他の新聞に比べて優れていた・・・。

3-は、桜井健治さんらが啄木と同じように船などを利用して渋民・盛岡を訪ねる。好摩駅、啄木記念館、宝徳寺、北上川、盛岡城跡、新婚の家・・・。
小樽での岩城之徳氏の講演会の様子なども・・・。

 

静かなブースに座り、啄木と対峙できる贅沢で幸せなひとときだった。
(2は、都合で見られなかった)

  

平岸林檎園記念歌碑

 

「天神山緑地」
季節には梅・桜もきれいに咲き
国際ハウスや日本庭園もある

札幌駅から地下鉄南北線に乗り「南平岸駅」下車、徒歩15分ほどの豊平区平岸2条16丁目に天神山緑地がある。標高85mの天神山の頂上からは藻岩山が間近に見え、札幌市街を眺望できる。その中腹に「札幌平岸林檎園記念歌碑」がある。

 

「札幌平岸林檎園記念歌碑」

 

歌碑には「石狩の都の外の  君が家 林檎の花の散りてやあらむ」と彫られている。この「君」は、啄木が函館の弥生小学校代用教員時代に同僚であった橘智恵子のことである。当時札幌郊外で果樹園を経営していた智恵子の実家の風景が歌われている。

平岸の林檎園と啄木は直接関係はないが、かつて海外に名を馳せた平岸リンゴを永遠に記念してこの歌碑が建立された。

 

○ 林檎栽培者100年の苦闘を記す

「添碑」
日本林檎の一大産地となりウラジオストック
・シベリヤ・シンガポールなどにその販路を拡ぐ

  

添碑

『明治四年曾父・父らこの地に入り森を伐り林を焼き・・・翌五年北海道開拓使の輸入せる林檎苗木を植林同十四年一果をなし日本林檎栽培の黎明を告ぐ・・・

明治四十年札幌を訪れのち東京に居て遠く林檎園の夏に思いをはす歌人石川啄木の歌一首を碑に刻し往時を記念する

札幌平岸林檎園記念歌碑  

 建設委員会  

昭和四十一年十月二十三日  』

 

○ 「石狩の都の外の---」啄木の歌碑

  

「歌碑の文字は啄木自筆からの集字拡大」
「鹿ノ子百合」ような女性・橘智恵子を歌う

      

石狩の都の外の
君が家
林檎の花の散りてやあらむ

             啄木

○ ローマ字日記の「 Tie-ko san ! 

MEIDI 42 NEN.
1909.
APRIL.
9 TH,  FRIDAY.

 Ototoi kita toki wa nan to mo omowanakatta Tie-ko san no Hagaki wo mite iru to, naze ka tamaranai hodo koisiku natte kita. ' Hito no Tuma ni naranu mae ni, tatta iti-do de ii kara aitai ! ' Sô omotta.

 Tie-ko san ! nan to ii Namae darô! Ano sitoyaka na, sosite karoyaka na, ika ni mo wakai Onna rasii Aruki-buri ! Sawayaka na Koe ! Hutari no Hanasi wo sita no wa tatta ni-do da.

明治42年4月9日 

おとといきたときはなんとも思わなかった、智恵子さんのハガキを見ていると、なぜかたまらないほど恋しくなってきた。‘人の妻にならぬ前に、たった一度でいいから 会いたい!’ そう思った。

智恵子さん! なんといい名前だろう!
あのしとやかな、そして軽やかな、いかにも若い女らしい歩きぶり!さわやかな声!

ふたりの話をしたのは、たった二度だ。 

(「ローマ字日記」 石川啄木)

 


主要参考資料
・「啄木文学碑紀行」浅沼秀政 株式会社白ゆり 1996
・「石川啄木全集」筑摩書房 1983
・「石川啄木歌集全歌鑑賞」上田博 おうふう 2001
・「ROMAZI NIKKI ローマ字日記」石川啄木 岩波文庫 1977
・青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)
・札幌市北区役所HP みてきて北区
  http://www.city.sapporo.jp/kitaku/rekishi/episode.html

(2005-秋)   

   

 

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