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啄木文学散歩
山口県:山口市 中原中也記念館
○中原中也記念館(山口県山口市)の展示文に「啄木」という字を見つけた。
「中原中也記念館」入口のプレート
「屋外展示を見ながら記念館へ」 道は枕木を敷き詰めてある
○中原中也----啄木 天下の人これきけといふざまをして山に登ればハモニカ吹けり 我が心我のみ知る!といひしまゝ秋の野路に一人我泣く これらの歌は啄木の影響を多分に受けてゐることが看取されるが、それは当時の歌をつくる初歩の人が一度は必ず通る一つの過程であるから、これを以て中也君の詩的天分を云々するは当たらない。 山川千冬(宇佐川紅萩)「末黒野時代の回想」より
○中原中也----啄木
天下の人これきけといふざまをして山に登ればハモニカ吹けり
我が心我のみ知る!といひしまゝ秋の野路に一人我泣く
これらの歌は啄木の影響を多分に受けてゐることが看取されるが、それは当時の歌をつくる初歩の人が一度は必ず通る一つの過程であるから、これを以て中也君の詩的天分を云々するは当たらない。
山川千冬(宇佐川紅萩)「末黒野時代の回想」より
「記念館前の松の木」
○中原中也 全集第一巻「生前発表詩編」 初期短歌
「煙」 ユラユラと曇れる空を指してゆく淡き煙よどこまでゆくか 白き空へ黒き煙のぼりゆけば秋のその日もなほ淋しかり 的〈(あて)〉もなく内を出でけり二町ほど行きたる時に後を眺めぬ たゞヂツと聞いてありしがたまらざり姿勢正して我いひはじむ 腹たちて紙三枚をさきてみぬ四枚目からが惜しく思はる 見ゆるもの聞ゆるものが淋しかり歌にも詩にもなりはせざりき 天下の人これきけといふざまをして山に登ればハモニカ吹けり
「煙」
ユラユラと曇れる空を指してゆく淡き煙よどこまでゆくか
白き空へ黒き煙のぼりゆけば秋のその日もなほ淋しかり
的〈(あて)〉もなく内を出でけり二町ほど行きたる時に後を眺めぬ
たゞヂツと聞いてありしがたまらざり姿勢正して我いひはじむ
腹たちて紙三枚をさきてみぬ四枚目からが惜しく思はる
見ゆるもの聞ゆるものが淋しかり歌にも詩にもなりはせざりき
「汚れつちまつた悲しみに……」
汚れつちまつた悲しみに 今日も小雪の降りかかる 汚れつちまつた悲しみに
汚れつちまつた悲しみに
今日も小雪の降りかかる
今日も風さへ吹きすぎる ………………
今日も風さへ吹きすぎる
………………
・中原中也 詩人。詩集『山羊の歌』『在りし日の歌』、訳詩集『ランボオ詩集』など。 1907年(明治40)4月29日山口県(現在の)山口市湯田温泉生まれ。小林秀雄、大岡昇平らと親交をむすぶ。 1937年(昭和12)10月22日結核性脳膜炎により病没。享年30歳。
・中原中也
詩人。詩集『山羊の歌』『在りし日の歌』、訳詩集『ランボオ詩集』など。
1907年(明治40)4月29日山口県(現在の)山口市湯田温泉生まれ。小林秀雄、大岡昇平らと親交をむすぶ。
1937年(昭和12)10月22日結核性脳膜炎により病没。享年30歳。