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啄木行事レポート 

「第3回 横浜啄木の集い」

   2008年4月26日 横浜市開港記念会館 
合同企画 湘南啄木文庫・横浜啄木会 

横浜赤レンガ倉庫
 石川啄木横浜上陸100年 記念講演

 
○ 講演「啄木最後の歌集『悲しき玩具』編集の謎」
   講師 大室精一氏(佐野短期大学教授/国際啄木学会会員)

○ ミニ講演「石川啄木と横浜」
 1 「石川啄木と横浜に関わる人物と建物」小木田久冨
 2 「石川啄木と野口雨情、小島烏水について」佐藤勝
 3 「啄木の友人小島烏水の顕彰碑を訪ねて」大庭主税
  
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* 横浜市開港記念会館(重要文化財)

* 童謡「赤い靴」

 

    横浜からみなとみらい線で6分、「日本大通り」が会場の最寄り駅。

 
  
 
「横浜駅 みなとみらい線のホームへ向かう」
   

  

   バス「あかいくつ」
   観光スポットを周遊する「あかいくつ」は
   桜木町から中華街、山下公園、港の見える丘
   公園を巡る。大人100円。

   

     

 会場「横浜市開港記念会館」
「ジャックの塔」は約36mの高さがある。1923年
(大正12年)の関東大震災では、外壁を残して屋根
と内部を焼失。その後、1927年(昭和2年)に再建
された。1978年(昭和53年)修理、1989年(平成
元年)ドームが復元され当時の姿がよみがえる。
 
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 講演

 「啄木最後の 歌集『悲しき玩具』編集の謎」
      講師 大室精一氏

 啄木の歌を読むときに編集と配列を研究すると、より一層歌集が面白くなる。また、どの本を見るかというと初版本である。これを見ないと啄木の編集意識にたどり着けない。
 

○『悲しき玩具』歌稿ノートの配列意識

  • 二種類の復刻ノートがある。
     善本『悲しき玩具 直筆ノート』(盛岡啄木会・昭和49年)
     悪本『肉筆版 悲しき玩具』(書物展望社・昭和11年)
     
    • 悪本である理由は、白黒印刷のため青黒朱色とある中点の違いが出ない。余白の取り方を間違えている。薄い中点をフリーハンドで入れているのでミスがある。
       
  • 段階区分と中点の色
     第一段階→黒(3~68番歌)
     第二段階・前期→朱(69~98番歌)
         ・後期→中点なし(99~114番歌)
     第三段階→青と黒(115~130番歌)
     第四段階→(最初の一首のみ)黒 以下は中点なし(131~177番歌)
     第五段階(178~194番歌)

              「9号室の照明」
            
やわらかな光
  • 第二段階・前期→朱
    歌稿ノートが先で、推敲してから雑誌に掲載している。推敲順が逆になっているという目印に、啄木が朱色をつけたと思われる。推敲前の歌稿ノートは単なる歌メモで、推敲後の雑誌掲載歌に啄木の構成意識が認められる。
     
  • 第二段階・後期→中点なし
    中点は何のために打つか。区別するためである。すべての歌がノートにあるから、全部同じ部類なら打つ必要がない。だから中点がない。中点がないことは啄木の緻密さを表している。
     
  • 歌稿ノートが推敲前、雑誌掲載歌が推敲後であることが正しいなら、「第二段階」の歌は前期・後期ともに歌稿ノートが推敲前を示していることになる。
      
  • 第三段階→青と黒
    <雑誌「精神修養」掲載が初出の歌>に、青の中点を打つ。それ以外は黒。
      
    • 119番歌は推敲か別歌か
      A 限りなき心ぼそさよ!/目をとぢて/胸の痛みをこらへてある日!
        「精神修養」(明治44年4月号)
      B ■廻診の医者の遅さよ!/痛みある胸に手をおきて/かたく眼をとづ。
        『悲しき玩具』歌稿ノート(■は空白を表す)
      C 廻診の医者の遅さよ!/■痛みある胸に手をおきて、/■かたく眼を閉づ。
        「新日本」(明治44年7月号)
       
    • 従来の解釈では、Aを初出と記している。しかし、大室説では、Aは類想の「別歌」とみる。歌稿ノートの中点が黒であることから、啄木自身も「別歌」と認識していることが判明する。
       
  • 中点をみると啄木の意識までがわかってくる。色区分のある中点があることは、啄木が後に歌集全体の編集を意図していたことの明確な論拠のひとつになると思われる。    

 

   

「大室精一氏と藤沢全氏」

『啄木哀果とその時代』の著者 藤沢全氏も出席された。
藤沢氏は「啄木は肉体を喪失したがいまも生きている」
「彼は作品を残すことでいまの我々の文化の大事なとこ
ろに位置づけられている」と話された。

  

「2F9号室からのジャックの塔」

      

 ミニ講演「石川啄木と横浜」

 1 「石川啄木と横浜に関わる人物と建物」

小木田久冨    

  • 啄木は、1908年(明治41年)4月24日午後9時函館にて、横浜行き郵船三河丸に乗る。4月27日午後6時、横浜港に着く。啄木が横浜に着いてから離れるまで、約20時間の滞在である。
     
  • 啄木が船で上京することを決断したのはいつか。
    日記と大島経男に宛てた手紙から、4月21日に上京を決定したものと思われる。
     
  • 啄木が交通手段として船を選択した理由。
    一番は交通費であったろう。鉄道利用の場合、函館-新宿は、6円31〜91銭。船利用の場合、函館-新宿は、3円93銭。船賃には食事代も含まれていた。
     
  • 小島烏水と会う間に斬髪した床屋はどこか。
    「県立博物館のはす向かいに開いた」「寺田理髪店」ではないかと、思われる。しかし、その場所を特定するまでには至っていない。
     
    • 午前中の散策にて
      「啄木が着きたる波止場若葉風」 小木田 久冨

      

「キングの塔 神奈川県庁」     

若葉並木の向こうに頭が見える     

 2 「石川啄木と野口雨情、小島烏水について」

    佐藤 勝    

  • 啄木と雨情は40日間くらい、一つの蒲団に寝たほどの付き合いをした。
     
  • 明治40年、啄木が札幌から小樽に移ったとき、二人は小樽日報社で一緒に働いた。
     
  • 二人の生い立ちはよく似ている。愛情いっぱいに育ったのも同じ、故郷をおわれ北海道に流れていったのも同じである。
     
  • 明治41年9月19日、「雨情が死んだ」という誤報に驚いた啄木は、「いいやつだった」と追悼文まで書いたことがある。
     
  • 明治41年4月28日、啄木は横浜正金銀行預金課長であり、新詩社の同人である小島烏水を訪ねた。昼食をとり泡立つビールを飲んで文学を語った。啄木は烏水の印象を「爽やかないい青年だ」と記した。

 

「赤い靴の女の子の像」

像は、横浜の山下公園にある。
童謡の「赤い靴」は、作詞・野口雨情、
作曲・本居長世。
    

   

 3 「啄木の友人小島烏水の顕彰碑を訪ねて」

大庭主税    

  • 今年(2008年)の正月に常泉院の平井宥慶住職より、境内に「小島烏水の碑」を建立したという案内をいただいた。
     
  • 1月12日、文京区春日にある金剛山常泉院を訪ねた。山門を入るとすぐの左側にあり、70cmほどの小さな碑であった。何事も声高に叫ばず、じっくりと地道に、しかし的確に自分の道を生きた烏水を顕彰するに相応しい碑であると思った。
     
     
  • 以前に、烏水が勤務していた横浜正金銀行と烏水の旧宅のいずれの建物も現存していることを知って歩いて行ってみた。横浜正金銀行は現在、神奈川県立博物館として残り、旧宅(西区戸部町)は当時の原形を保って正金銀行の関係者の子孫が今も住んでいる。
     
  • 小島家の菩提寺が常泉院であることも知った。墓所はマンション型のロッカー形式だった。それが山を愛し、多くのすぐれた紀行文を残し、近代日本を代表する山岳登山の先駆者、小島烏水の墓所らしいと思った。烏水はその墓所においても近代的なものを求めたと思うからである。

  

「集いは満席盛況」 

大人気のため、申し込みは1カ月半も前に
締め切ったとのこと。関東近県はもちろん
遠く福井県や北海道からの参加もあった。 

   

 

「藤沢全氏と佐藤勝氏」

     


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*横浜市開港記念会館(重要文化財)
   貴重な歴史的作品の数々

     

「『渡し船』と『駕篭』のステンドグラス」

2階広間。開港当時の交通状況を描く。
製作は宇野沢組ステンドグラス製作所。

  


  

「ペリー乗船のポーハタン号」

2階への階段飾り窓にあるステンドグラス。
1860年(万延元年)日米修好通商条約締結のために
ペリー乗船のポーハタン号が下田に入港する様子。
星条旗が描かれているため戦争中、軍の特高の人が
来る時は暗幕を垂らし、見えないようにした。  
 

 
 

「鳳凰一対と<ハマ>マーク」

2階広間のドアの上にあるステンドグラス。  
中央上部に横浜市のシンボル「ハマ」のマークが
入っている。日本のステンドグラスの歴史上、 
非常に価値の高い作品。           
  


  

「階段の飾り窓」

オルセー美術館の大時計の窓を思わせる。

   


     

「玄関ロビーのタイル模様」

  

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「歩道の敷石《あかいくつ》」

 

赤い靴  (作詞 野口雨情  作曲本居長世)
 
赤い靴はいてた女の子
異人さんにつれられて
行っちゃった

横浜の埠場から船に乗って
異人さんにつれられて
行っちゃった

今では青い目になっちゃって
異人さんのお国に
いるんだろう

赤い靴見るたび考える
異人さんに逢うたび
考える

「赤い靴の女の子の像」

作者 山本正道氏


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