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啄木行事レポート

「石川啄木 貧苦と挫折を超えて」 

  いわき市立草野心平記念文学館

    ― 開館10周年記念企画展

          2008年7月19日(土)〜8月24日(日)

 福島県いわき市小川町高萩にある草野心平記念文学館は、1998年7月19日に開館した。JR磐越東線「小川郷駅」より、車で約5分。常磐自動車道いわき中央I.Cから約15分のところにある。

 

文学館前の「石川啄木展」看板

 19歳で処女詩集『あこがれ』を刊行し、浪漫派天才少年詩人として出発した石川啄木(1886〜1912)。処女歌集『一握の砂』刊行は24歳の時のことです。貧苦と挫折を繰り返しつつ、26歳の若さで世を去った啄木は、詩歌の世界に大きな足跡を残しました。(企画展パンフより)

 

 

   「草野心平記念文学館」の入口

 本展は、中村稔氏(詩人)の監修により、日本近代文学館蔵の啄木自筆原稿・啄木差出書簡等で、「啄木の生涯」と「詩歌の世界」を紹介します。(企画展パンフより)

「庭にある心平の弟・天平の詩碑」

 

「7歳下の弟・天平」

一人

  草野天平

見ても誰もゐない
本を伏せる
家を出て山を見れば
山はやはり山

  

「催し物の掲示板」

  

 「石川啄木 貧苦と挫折を超えて」開館10周年記念企画展 

 展示資料

○ 石川啄木自筆資料

 家族の誕生日に関するメモ「黄草集」ノートから(写真)
 小説「雲は天才である」原稿 明治39.7.3起稿
 履歴書(新聞社用)明治40.8.30
 小説「病院の窓」明治41.5執筆
 詩稿「病気にかかりて」(「さらば」4号掲載 明治44.7)
 自筆「新詩社番付表」(複製)

 他

○ 石川啄木差出書簡

 野村長一(胡堂)宛
 金田一京助宛
 妹光子宛
 大島流人宛
 向井永太郎宛

 他

○ 石川啄木著作

 『あこがれ』明治38.5
 『一握の砂』明治43.12
 『悲しき玩具』明治45.6
 妹光子への署名献呈本『一握の砂』

 他

○ 石川啄木作品初出誌

 「明星」・「スバル」 他

○ 石川啄木写真 他

 

○ 「啄木の旅」草野心平

雑誌「文藝 臨時増刊号 石川啄木読本」昭和30.3 河出書房

   草野心平「啄木の詩に就いて」

…… 「はてしなき議論の後」「ココアのひと匙」「激論」「墓碑銘」「家」などを殊更にとるが、これらの作品は文語の古くささはありながら、五十年を過ぎた現在でもなほ新鮮で切実で強い迫力をもつてゐる。社会主義詩、リアリズム詩の先駆的作品として、記念碑的存在であることは今になつて更に疑ふ余地がない。……

 中学生や高校生にとつては、啄木の歌は他のどんな歌よりも親しまれる性格をもつてゐる。その甘い、また辛い感傷、偽りのない生活の記録、叛逆性、それらはたしかに青年の心にアッピールする。またその平易さは暗誦にも適してゐる。

   

「企画展入口には啄木のふるさとの風景写真」 

  

○ 「勿来関と啄木」

・拓本 源義家歌 文政5(1822)年建立

 吹く風をなこその関と思へども道もせにちる山桜かな(『千載和歌集』)

 

・啄木「秋らく笛語」(日記)より (注:「らく」は「音」遍に「出」)

 明治35年

十一月廿一日

・・・吾は近頃蔵書の多くを英語をのぞいては大底売り払ひたり。甚だ気持よし。

 床の間には余がこの夏嘗つて渋民に居て掛けたる勿来の関の碑の一軸を下げたり。こはかの君きたりし時も白菊の鉢置きたる床にかけし者也。なつかしきは 吾に文玉ふ人々とこの掛物、母が手づからせし夜具、と自分の体也。呵々。

 妹は今年十五、心稚けれど我を想ひてや文したる心根これもなつかし。

  

「屋上庭園から心平のふるさとを眺める」



 

 心平の生家と墓

 草野心平の生涯

     (参考:草野心平記念文学館HP)

 草野心平は、明治36(1903)年5月12日、福島県の上小川村(現・いわき市小川町)に五人兄弟の次男として生まれた。地元の小学校から県立磐城中学校へ進学、16歳で上京するときまで、心平はこの上小川村に暮らした。

    

 「草野心平生家」
記念館とは、3〜4kmの距離のところ。
生誕100年を記念して生家を修復し、
2003年から一般公開している。木造平
屋で心平が戦後、中国から引き揚げた後
は一族18人が同居していたという。
地元のボランティアが、ガイドしてくれる。

 心平は、大正10年に中国の嶺南大学(現・中山大学)に留学する。中国から帰国した心平の20代は、放浪と貧困の連続だった。10回以上の引っ越しと、新聞記者、屋台の焼鳥屋、出版社の校正係など、さまざまな職業を経験し、昭和3年、25歳で結婚する。

新婚時代は、新聞紙が卓袱台代わりで、食べるものにも事欠くという貧窮ぶりだった。

          

     「草野心平生家の模型」
    心平が16歳まで過ごした
    場所に立つことができる。

 

「中央の低い石が心平の墓」
生家のすぐ近くにある常慶寺は心平の菩提寺。

 

 60歳にして心平はようやく東村山に自分の家を持った。胃潰瘍、疲労、骨折と、入退院を繰り返したが、創作活動は衰えることなく、晩年の13年間には、12冊の年次詩集を刊行し、そのエネルギーは驚嘆された。昭和53年には『草野心平全集』の刊行も始まった。

秋の夜の会話
       草野心平


さむいね。
ああさむいね。
虫がないてるね。
ああ虫がないてるね。
もうすぐ土の中だね。
土の中はいやだね。
痩せたね。
君もずいぶん痩せたね。
どこがこんなに切ないんだろうね。
腹だろうかね。
腹とったら死ぬだろうね。
死にたかぁないね。
さむいね。
ああ虫がないてるね。

 

  

 「自署彫り碑」 
先祖の墓に囲まれた小さい墓が心平の墓。
心平は「ご先祖様より高い墓に入るわけに
いかない」とこの低さにしたらしい。ボラ
ンティアのかたが案内をしてくださった。

昭和63年(1988)11月12日、急性心不全のため心平は85歳の生涯を終えた。

 

上小川村  草野心平『牡丹圏』より

 大字上小川

ひるまはげんげと藤のむらさき。
夜は梟のほろすけほう。

ブリキ屋のとなりは下駄屋。下駄屋のとなりは小作人。小作人のとなりは畳屋。畳屋のとなりは鍛冶屋。鍛冶屋のとなりはおしんちやん。……

ひるまはげんげと藤のむらさき。
夜は梟のほろすけほう。


 いわき市立草野心平記念文学館

 ・979-3122 福島県いわき市小川町高萩字下タ道1-39
 ・TEL 0246(83)0005 FAX 0246(83)2939
 ・草野心平記念文学館HP  http://k-shimpei.jp/index.htm

 

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