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啄木文学散歩

栃木県:佐野市---2  佐野厄よけ大師の石川啄木歌碑


 ≪ 佐野駅周辺 ≫

 年末年始によく耳にする「初詣・関東三大師」として有名な佐野厄よけ大師は、春日岡山惣宗寺(そうしゅうじ)といい、JR 両毛線「佐野駅」・東武佐野線「佐野市駅」より徒歩10分足らずで着く。

 「佐野プレミアム・アウトレット」と「佐野厄よけ大師」と「佐野ラーメン」を3点セットにしたバスツアーも人気のようだ。

  

佐野駅前の「佐野市全域案内」図 

 厄よけ大師は現在地(赤字・JR佐野駅)からみて南西方向、佐野短大は南東、短大の東側に三毳(みかも)山。駅の北西には田中正造旧宅なども案内されている。「佐野プレミアム・アウトレット」は、佐野短大の南方向にあり地図から外れたすぐの所。2007年に佐野新都市バスターミナルができて、新宿駅や東京駅と佐野を結ぶ高速バスの利用者も多いという。

   

≪ 佐野厄よけ大師 = 春日岡山惣宗寺 ≫

「関東の三大師」

参道には名物まんじゅうの屋台

 

 

「田中正造墓所の石塔」  

  右は初詣の行列  

   

 

 「田中正造翁の墓の案内」

 田中正造翁(1841〜1913)は佐野市小中町に生まれ、
この惣宗寺を本拠地として政治の道に進み、……全生涯を
正義の旗手として人権の尊重と自然保護のために捧げました。
 翁の没後、当寺院で本葬が執行され、遺骨はゆかりの地
五カ所に分骨埋葬されました。

 

正造の墓と啄木歌碑

 

「正造と啄木」

正造の墓石は高くそびえ「嗚呼慈侠 田中翁之墓」
と刻まれている。左側が石川啄木の歌碑である。

 

夕川に葦は枯れたり

 血にまどう民の叫びの

  など悲しきや

       石川啄木  

 

近代日本の先駆者田中正造翁は 明
治三十四年十二月十日第十五議会開
院式から帰る途中の明治天皇に足尾
銅山鉱毒被害による渡良瀬沿岸農民
の窮状を直訴する  当時盛岡中学
三年在学中の啄木はこの感動を三十
一文字に托した 奇しくもこの年 
創立された県立佐野中学校(第四中学)
の生徒達にも鉱毒の惨状は強い衝撃
を与え作文その他に残されている

 

 

 啄木歌碑を建立したのは同寺(佐野厄よけ大師 = 春日岡山惣宗寺)住職の旭岡聖順氏。旭岡氏は昭和27年から48年まで、県立佐野高等学校で教鞭を執っていた。そこで、同校の生徒たちが啄木の歌を通していっそう田中正造の研究を深め、かつ社会奉仕の精神を継承していってほしいとの願いを込めて、この碑を建立したという。

「啄木文学碑紀行」浅沼秀政 株式会社白ゆり出版

 

  

「啄木歌碑の裏」

「奇しくも石川啄木生誕百年を記念して
昭和六十一年九月四日」

 

「カラフルな おみくじ」

おみくじの引き方
目をとじて住所・名前・生年月日
・願い事を唱えながら引く」

 


  

 ≪ 佐野の味 ≫

「佐野大師 御利益最中」

 

「青竹を使った製麺方法」

 青竹に足をかけ足の重みで麺を伸ばしては折りたたむ

 

   

「佐野・下野の国ら〜めんの郷」     

青竹手打ち麺と澄んだスープ       

 

(2010年-初春)   


 

「渡良瀬遊水池の枯れた葦」

夕川に葦は枯れたり血にまどう民の叫びのなど悲しきや

石川啄木 

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石川啄木と田中正造のつながりについて興味のある方は、こちらへもどうぞ。

啄木文学散歩
栃木県:佐野市---1 石川啄木と田中正造

 

 

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