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啄木行事レポート

啄木学級東京講座

   2000年11月5日 有楽町朝日スクエアにて

1時間目 - 井上ひさし氏講演「最後の三年間」

2時間目 - 対談「もし啄木がもう少し生きていたら」井上ひさし氏、山本玲子氏、近藤典彦氏


1時間目 

「最後の三年間」と題する井上ひさし先生の講演は、石川啄木とその家族の微妙な関係、啄木の学んだ盛岡尋常中学校のそうそうたる同窓生たちのことなど、啄木最後の三年間までお話がいきつけるのかハラハラドキドキしましたが、とても楽しいものでした。


1時間目 井上先生の講演

 

2時間目

 作家・劇作家 井上ひさし先生、石川啄木記念館 山本玲子学芸員の対談に、ちょうど参加して下さっていた近藤典彦先生も加わり、以下のような興味深いお話が聞けました。

井上/山本さんは、節子さんの生まれ変わりではないかと言われているそうですね。節 子さんに成り代わってお答え下さい。宮崎郁雨は節子に、どんな気持ちで「節子さんだけが写っている写真が欲しい」という手紙を書いたのですか。

山本/啄木は堀合家に絶縁状を出しているため、節子の父、忠操は直接娘の安否が尋ねられませんでした。そこで、郁雨が忠操に、節子の元気な顔を見せたいので「写真が欲しい」と書いたのです。

井上/節子さん本人がそう言っているからそうなんでしょう。


熱のこもった3人のお話

井上/啄木はもし長生きしても、どこかで国家権力に殺されていたでしょう。河上肇や小林多喜二らときっと仲良くなり、牢獄に囚われ獄中記を書き、四十数歳で死んでいた。すばらしい文学者は、どんな時代にも共通する人間の本質を掴まえています。大逆事件で文学者は皆口をつぐんだが、啄木は言おうとしました。正直であり、明晰であります。

近藤/啄木は、(社会の状況を)宮沢賢治のように童話にしたり出来ません。しかし、「時代閉塞の現状」などを読むと(もし権力側からつつかれても、その文は)どのようにも言い抜けが出来るようになっています。だから、したたかに生きたかもしれません。


銀座朝日新聞社跡の歌碑
啄木学級の始まる前に寄ってみたら 
ちょうど前のビルでガラス拭きをしていた

 京橋の滝山町の

 新聞社

 灯ともる頃のいそがしさかな   啄木

 ほかに井上先生のお話の中で、「石川啄木は明治の作家としては漱石・鴎外と並ぶ目線で社会を見ていた。啄木が発見した近代国家の問題や、個人と国家の関係など、今も同じように存在し、問題は解決していない。これから啄木は一層研究され読まれるべきだ」「良い作家は、面白い」など、ドキドキするお話をたくさん聞きました。

 卒業証書授与のあと、観光協会などからもお土産をいただき、また来年が楽しみです。

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