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啄木行事レポート

国際啄木学会茨城大会

   2000年11月23日茨城県日立市 茨城キリスト教大学

記念講演「啄木の歌との出会い」馬場あき子先生

啄木の歌との出会い - こみ合へる電車の隅に

三度の上京 - 明星に歌が一首載ったというだけで

その時代の口語によって力を付けられてきた短歌 - いのちなき砂の悲しさよ

「悲しき玩具」になると - 石狩の空知郡の牧場の

P.S. 石川啄木の育った「宝徳寺ゆかりの方」と


 


常磐線大甕駅
〈駅前においしい和菓子の老舗がありました〉

 会場は、常磐線水戸と日立の間、「大甕(おおみか)」という駅の近くです。上野から“スーパーひたち”で約1時間半、途中 筑波山も見えました。

 広々とした大学構内は、暖かい太陽に紅葉が光り、別世界のようでした。


 記念講演「啄木の歌との出会い」馬場あき子先生

啄木の歌との出会い

 私は学生の頃、石川啄木の歌がいいと思っていましたが、戦争中だったので先生に止められました。“国禁の書”などという言葉が出てきたからでしょう。戦後になり、啄木は大復活を遂げました。昭和21年に刊行された啄木歌集を手に入れ、しきりに読みました。

 啄木の歌は時がたっても通じます。

 こみ合へる電車の隅に

 ちぢこまる

 ゆふべゆふべの我のいとしさ 

 例えばこの歌。近代・戦争中・戦後、そして現代にも受け入れられる要素を持っています。勤め人はずっと混んだ電車に乗せられているんですね。その時代の人がどのように読もうとも、この歌は、今の感情として残っていきます。

 

三度の上京

1  明星に歌が一首載ったというだけで、盛岡中学を退学し、与謝野鉄幹夫妻を頼って上京。

  啄木17歳。

2  処女詩集「あこがれ」刊行のために上京。

  母が渡してくれた7円で、投げれば立つような仙台平の袴を買ってしまう。19歳。

3  金田一京介を頼り、単身上京。本郷の赤心館に二人で住む。23歳。

(エピソードを一杯折り込んでお話下さいました。そして、この系譜を辿らなければ、啄木の歌は解らないともおっしゃいました。)

 

その時代の口語によって力を付けられてきた短歌

「一握の砂」  二行書きから三行書きへ

  5 7  いのちなき砂のかなしさよ

  5    さらさらと

  7 7  握れば指のあひだより落つ

 これは、両側が長く中が締まって鼓の形。啄木はこの形が好きで一握の砂の四分の一がこれ。

  5    こころよく

  7 5  我にはたらく仕事あれ

  7 7  それを仕遂げて死なむと思ふ

  だんだんに字数が伸びていくきれいな形。これが二番目に多く、百人一首と同じ口調。

このほか、【5 757 7】 【57 57 7】 【575 7 7】 などの切り方をしています。

意味の切れ目じゃないところで切って、不思議な世界を出しています。韻律の響きを利用し、また、活字にしたときの三行書きの視覚的効果もあります。啄木はこれを、今まで誰も考えなかった現代の口語であてていきました。

 

「悲しき玩具」になると

「一握の砂」から「悲しき玩具」になると全体が散文化していって、啄木の歌はまた違った環境になっていきます。

 石狩の空知郡の

 牧場のお嫁さんより送り来し

 バタかな。

“かな”が“なり”になると、断定してしまって強すぎます。啄木は軽い詠嘆にしたかったのでしょう。啄木の歌は彼のマイナーな面を出しています。“かな”は、‘重い 想い’を、‘しゃれた軽いもの’に変えています。現実の自分を客観的に見るやり方に“かな”があります。


凛とした声が会場に響く
 

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 馬場先生のお顔は、テレビではいつも拝見していましたが直接には初めてでした。‘凛とした声’とはこの声のことだとはっきり分かりました。途中マイクの調子が良くなかったときも、「聞こえますか。大丈夫ですね」とおっしゃって肉声のままで続けられて、それが大変よく聞こえました。

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 P.S. 石川啄木の育った「宝徳寺ゆかりの方」と

 帰りの大甕駅のホームで、偶然一緒の乗車位置に立った方とお話をしました。その方は叔父様のお薦めと、属していらっしゃる短歌の会の関係で、参加されたということでした。今までの国際啄木学会について、二人とも夢中でお話をしました。とても楽しいひとときで、“スーパーひたち”上野までが「あっ」という間でした。

 ところがなんと、この方にこの会を薦めてくださった‘叔父様’とは、‘あの遊座昭吾さん’だったのです。岩手県玉山村渋民の万年山宝徳寺に生まれ育ち、石川家との宝徳寺をめぐる因縁がありながらも、事実をきちんと捉える科学者のような目で、たくさんの啄木に関する本をお書きになっています。

 その後、この方から、「このホームページを叔父が見て、『父一禎の生涯を考えるのに良い資料です』と言っていました」というメールをいただきました。「叔父は長年の石川啄木研究と顕彰活動を評価され、この秋、地域文化功労者表彰(文部大臣の表彰)を受けたそうです」と、書かれてありました。

 遊座昭吾さん、受賞 本当におめでとうございます。     

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