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啄木行事レポート

講演『一九〇三・啄木百年』

  2003年7月12日(土)  2003年度 法政大学国文学会大会

於:法政大学58年館  

  講師 遊座昭吾先生 

 

○ 二十世紀初め 啄木文学のスタート

・私は今まで、岩手日報紙に発表された啄木の作品を全集などで見てきた。しかし、実際の新聞・元テキストで見たいと思い、岩手日報社を通してコピーを手に入れた。
 
・一枚一枚を見て初めて明治34、35年の啄木と同時代に立つことができた。
 
・1901年(明治34)12月3日から1902年1月1日までに、啄木は翠江の名で岩手日報に7回発表している。
 これが二十世紀の初めであるということに二年ほど前、気づいた。
  

「1902年1月1日」が二十世紀の初めであると気づいた

○ 上京、そして無惨な失敗

上京して1か月目の日記
 
「1902年(明治35)12月1日
 あゝ汝故郷よ。岩峯の銀衣、玉東の白袖、夫れ依然として旧態の美あるか。江東嘗而、故郷を論じ「形逝いて神遊ぶ」と云へり。宜なる哉。郷村不段の自然の霊、今尚ほ、清秀の趣を湛えて、初冬の?気、朴直の農人の胸に呼吸せらるか。吾たえずあゝ吾堪えず。
 
 この夏、山村水郭の涼しさを恋しき君と共にする三夜。野流潺々として音清き所、豆の葉を踏んで人百合の花を含む。高姿、彷彿として今吾目にあり。あゝされど身はこれ遊子相へだつ百四十里なるを如何せん。
 
 嘗而従兄と山野に猟す。雪鞋氷を踏んで寒林に佳禽をさぐる。往く往く山深うして自然の形神威あり。徐ろに故郷の山川を眺望して精気脈管に迸り出るを覚えき。野鶏足下の叢を出でゝ飛ぶ。高翔の擢羽響、尚耳にあり。あゝされど吾は巷街の塵に歩むを如何せん。」
 
・白蘋(啄木)は「あゝ汝故郷よ」望郷の想い、夢の実現の難しさを故郷に向かって呼びかけた。この漢文調に脱帽する。
 
・1903年2月 父に迎えられて東京を出発し、帰郷する。
 
・盛岡中を退学し、在京わずか4か月。二度の試練を受けた後、無惨な失敗をし、敗北の姿を故郷に現した。
 

○ 17歳にして日本文壇にデビュー

 
・1903年(明治36)12月1日『明星』には「啄木」という署名入りの詩が三ページも載っている。
 
・明治37年1月号の「社告」を与謝野鉄幹がしている。詩では高村光太郎、与謝野鉄幹と並んで石川啄木の名前がある。これは鉄幹が啄木を“文学者”として認めたからであると思う。目次にも啄木の名が載った。
 
・鉄幹は、裏表紙に“啄木の詩が載っている”ことをアピールしている。
 
・啄木17歳にして日本文壇にデビューする。
  

○ 啄木鳥による生命を賭けた警告

 

『明星』明治36年(1903)12月1日
  
  「啄木鳥」     石川啄木
  
 往昔聖者が雅典の森に撞きし
 光ぞたえせぬ天生愛の火もて
 鋳にたる巨鐘、無窮のその音をぞ
 染めつる『緑』よ、げにこそ霊の住家、
 そを今溷れる叫喚の巷の風
 寄せ来て、若やぐ生命の森の精の
 聖きを攻むやと、終日、啄木鳥、
 巡りて警告夏樹の髄に刻む。
  
 住きしは三千年、永劫なほ進みて
 つきざる『時』の箭、無象の白羽のあと、
 追ひゆく不滅の教よ。プラトオ、汝が
 浄きを、高きを、天路の栄と云ひし
 霊をぞ守りてこの森不断の糧、
 奇かる務めを小さき鳥のすなる。
  

遊座先生の声に力がこもる

               
・啄木鳥が人間界へ警告( cf. 遊座昭吾「石川啄木の世界」)
 
 『愛』とは古代ギリシヤのアテネの名門に生れた聖者プラト
ンの、天然にして永遠不滅のイデアの愛
 『緑』とは俗界から隔離されたる霊の住家である自然界
 『時』とは永劫尽きない、瞬間に刻まれていく時間
  
 その『愛』の火をもって造りなしたる巨鐘の、無際限なる響きに染められた「霊の住家」たる『緑』の「若やぐ生命の森の精の聖きを」、俗界の「慶の疾風」が侵そうとしているではないか。
 
 きつつき鳥は終日夏樹の髄を叩きて、生命を賭けてなす警告を、人は聞かねばならぬ。
  
 プラトン逝きて三千年の時が経ったが、なお不滅の教えは生き続ける。プラトンよ、「汝が浄きを高さを天路の栄と云ひし」鳥その「霊をぞ守りて、この森」を「不断の糧」として、霊妙なる勤行を、この小さな鳥はするという。
 
・そのきつつき鳥は今日も終日、最も大事な樹木の髄をドラミングし、その木霊を人間界への警告として響かせている。そして、石川一は衰弱した体で、寺の部屋からその音を聞いている。
 

○ 「啄木」の誕生

・石川一はこのきつつき鳥を通し、詩人の精神・自己の生命の息吹きを示そうとした。永遠のペンネーム「啄木」は、実はこの時誕生したのである。

・「五七五七七」ではなく、「四四四六」の彼の生み出した偶数韻律で表した。

○ 啄木百年

 
・百年前、万年山宝徳寺に響く啄木鳥の音に魂を揺さぶられ啄木は詩を作った。
 
・百年後、私は万年山で育ったからこの詩を読み解くことができた。それしか説明できない。
 

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参加しての感想

*遊座先生のご講演の前には研究発表がありました。
 
「太宰治『女生徒』-作品と素材日記のあいだ」
 
「『中務内侍日記』考」
 
 どちらも日記を扱っていて、「文学としての日記」に興味が湧きました。
 
*盛岡から遠路おいでになった遊座先生。ピシッと背を伸ばされてお話する声に力がありました。
  
*法政大学国文学会のみなさま、お誘いくださったkさん、ありがとうございました。

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