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啄木行事レポート

国際啄木学会〈春季【盛岡】セミナー〉

   2004年4月11日〜13日 岩手大学  
   4月11日  研究発表 ・ 問題提起 ・ 講演
   4月12日  昼 実地研究(襖剥ぎ実演・宝徳寺見学・啄木新婚の家)
         夜 「復活啄木忌前夜祭」

   4月13日  「啄木忌」玉山村
 

  

      会場は岩手大学工学部

 

研究発表

・「啄木日記にみる文学者意識と自己客観化」  村松 善

 --「遊子」あるいは「石川啄木」「啄木」という表記--
 
○素朴な疑問
 啄木はなぜ約十年間にわたる日記を、あれほどまでに丹念に書くことができたのであろうか?
 
○日記に対する文学者としての自意識が、いかに作品化の意識に連なっているのか。
・日記における自分自身を示す表記(雅号)に注目。
 


・「岩手県保存文書からみた石川一禎」  佐々木祐子

○常光寺入山と日戸村常光寺庫裡の再建
一禎の常光寺入山は、「法類、檀家総代、曹洞宗務支局教導取締」連名で、日戸村常光寺後住願が提出され、・・「学術品行共住職適任ノ者」と県令に上申。明治7年12月16日、県から辞令を請けた。
常光寺庫裡再建と、渋民村宝徳寺本堂の再建と、一禎が住職をしているうちに二つの建物を建てたのは大変なことだった。
 
*帳簿の保存上、コピーは許可されない。何度も通って書き写すか、写真を撮るしかない。
 

・「森荘已池と啄木」  森 義真

 岩手県初の直木賞受賞作家 森荘已池(もりそういち 1907-1999)が、啄木に強い関心を示していたこと。宮沢賢治との対比において啄木をどうとらえていたか、渋民での講演で啄木をどのように語ったか、に焦点を当てて、岩手における啄木受容の一例を紹介する。
 
○「啄木の遷移」より
象徴主義から自然主義へ、自然主義から社会主義へ、彼の歩んだみちは、・・・明確ににんげん精神、ならびに社会人としての意識の発展を示している。
だから、彼の文学的作品、初期の作品と晩年の作品には、天地雲泥の差があるのである。
 
○文化についての覚え書「石川啄木の講演をしたこと」より
……私見ニヨレバ 石川啄木ハ 貧乏ニ対スル免疫ガ デキナイウチニ 併発シタ 肺結核ト結核性ノ腹膜炎ノタメニ タオレタノデアル ダガ石川啄木ガ 貧乏ニモナラズ 病気ニモ ナラナカツタナラバ アレラノ 日本国民ノ 貴重ナ文化財デアル 短歌ノ数数ハ生レナカツタデアロウ……
  
 

テクノホールのガラス張り正面玄関

 

「はつなつ考」 今野寿美

 与謝野晶子の「初夏(はつなつ)」。啄木の「晩秋(おそ秋)」。美しいことば「はつなつ」の出どころを探り、近代歌人の用語意識について考える。
 
与謝野晶子の主張
……漢字を勝手に訓読して「晩秋」に「おそあき」、「晩夏」に「おそなつ」などの振り仮名をして奇怪な新語を作ることの流行も賛成しかねます。
 
与謝野晶子の反論
……「はつなつ」は漢語の訓読ではなく、立派な日本語であって……徳川時代の俳人が用い(ている)……。「晩」の訓に「遅」(おそ)は乱暴である。
 
斎藤茂吉の批判
……新派の歌の流行にともない「初夏」に「はつなつ」と傍訓した歌が続出するようになった。日本の国語の本来の性質からいうと不自然だが、「晩秋」「晩夏」の日本読みだとみなせば気にもならない。
 

発表を熱心に聴く

問題提起

・啄木研究の最前線をめぐって 近藤典彦

 『論集 石川啄木』「『一握の砂』の研究」などの成果をふまえ、啄木研究の新しい可能性を探る。
 
『論集 石川啄木』
・台湾、韓国、中国、インドネシア、西欧と、ローカルなところで大切な問題が研究されている。
 
・啄木は耳の良い人だった。「啄木の聞いた盛岡の音の風景」(黒澤勉)
 
・編纂者としての啄木は、「過去・現在・未来」という多様な時間軸を自由に行き来できた。そして、優れた文学者は未来を見通し予言した。
 
「啄木は世界とつながっていた」と語る近藤典彦氏
 
「国文学 解釈と鑑賞」2004年2月号
座談会「啄木の魅力」井上ひさし氏の言葉
「啄木は、日本史の上で五指に入る、日本語の、言葉の使い手です」
 
啄木はどこで広まっていくか。それは何といっても教科書だ。
「教科書における啄木短歌」飛鳥勝幸
 平成15年度高校教科書は20点発行された。啄木短歌はのべ36首掲載され、歌人ではトップである。
 
「新日本歌人」2004年4月号
啄木は日本の和歌史上におけるピカソである。
 
啄木ほど世界とつながっていた文学者は希有なのだ。

講演 

「日朝の歴史教育交流から見た啄木」 加藤 章

第二回 日韓合同歴史教科書研究会(1991年9月)の記録より
 
・評価のわかれる良心的な日本人
 日本政府が朝鮮を植民地化したことに対して、また朝鮮の独立運動にたいして、日本の知識人がどのような態度をとったのかを検証。
 

階段講義室は約300名収容できる

  

石川啄木への批判
 啄木の伊藤博文追悼文を引用しつつ、いかに「九月の夜の不平」のような作品を残そうとも、「支配民族の詩人」という評価を免れることは難しいと断じた。
 
・同時代のもっとも良心的な日本人でさえも、結果的に「愛国国家主義」に協力したように、個人的な思想や利害よりも国益を優先させるのが日本人の民族性であるとした。
 

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盛岡あれこれ

●石割桜、今咲かんとす
 盛岡地方裁判所の前を通りかかると、構内にある石割桜の枝枝は濃いピンクに染まっていた。まわりをカメラの三脚が取り巻いていた。
 あとで岩手日報を見たら4月12日が開花となっていた。
 
 10日ほど前の4月2日に「盛岡、6センチメートルの積雪」というニュースを見たばかりだったので、冬の厳しい地方の春到来に出合った気がした。
 
 
  
静かな岩手山 
  

イザ、冷麺へ
 盛岡に行ったら冷麺というコースは定番となってしまった。
 銀座の“いわて銀河プラザ”でもよくお世話になっている。
 
イラク、人質解放
 帰りの新幹線では「イラクの日本人人質3人解放」と電光ニュースの文字が左へ左へと流れていた。
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 \☆\★ いろいろとお世話くださった方々に感謝します。ありがとうございました★/☆/

 

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